アンネ・フランク との誓い(2)
アンネ・フランク には、隠れ家生活の中で、ペーターという恋人がいました。 申し訳ないので、 わたしは、アンネ・フランクだけでなく、ペーターの生まれ代わりでもあることを意識して、彼女の期待に応えて行きたいと思います。 私の自己紹介は、主に、悲惨なことが理由で、人に言えない恥ずかしい部分があるのですが、アンネ様を信じて、素直に告白したいと思います。
(2014年10月25日 )-159809 自己紹介(私の父と母)
親愛なるアンネ様
私の自己紹介は、まず、父のことから始めねばなりません。言いかえれば、これは、一人の知的障ガイのある男性の執念の話から始まるのです。1944年頃の アンネ様がキテイ様へ日記を書いていた頃の話です。
その男(私の父)は、知的障ガイがありました。 どの程度かというと、まず、秘密を守ることができず、なんでもしゃべってしまうし、 小さな声で話す必要のある"ひそひそ話"ができないし、重要な話は理解できないので大事なことを忘れても気にしないし、仕事の理解が困難で、単純な作業しかできないような状況でした。その男は、1944年頃、中国で日本陸軍の兵士として勤務していましたが、空砲を打つ訓練時に、実弾を抜くのを忘れて発砲し、軍隊の中でも、知的障ガイのあることが問題となっていたようです。
その男が、赤十字社の従軍看護師をしていた女性(私の母)の治療を受け、結婚相手はこの人しかないと決意して、結婚を申し込んだのですが、その場で断られました。 終戦となり、故郷へ帰ってからも、その看護師のことが忘れられず、教えてもらった名前や、自分の住んでいた実家地域の隣の市町村に住んでいることだけを手掛かりにして、 とうとう、その女性の家を見つけ出し、結婚を再度、申し出ました。 その当時は、終戦直後の食糧難の時代でした。
日常の会話は、普通にできる程度だったし、真面目そうに見えたし、食糧の不自由がない農家に住んでいるかを尋ねたところ、「そうです」と答えたので、嫌な予感がしたけれども、求婚された、その女性は、その男の住んでいる開拓農村を兄弟と一緒に訪問してみました。 その男の家はあばら家でしかも飢餓(きが=食べるものがなくて死にそうなこと)状態の弟や妹が一緒に住んでいるではありませんか!
その男は、農業の知識もないままに、その時代の政府の宣伝で、開拓農村に移り住み、農業の仕事が覚えられないまま、生活に困り、生活保護を受けていたのです。 その女性は、求婚した男性に失望しましたが、飢餓状態のその男性の弟や妹を見捨てることができず、兄弟・家族の猛烈な反対を押し切って結婚したのです。 ニッカウイスキー創業の竹鶴政孝の妻であった、竹鶴リタが、決心したように、懐かしい人々や風景との縁を離れて、この地で生きていくと、固く決意したのです。 ジャンヌダルク様のように勇敢で、マザーテレサ様のように情け深く、二重性格に存在するもう一人のアンネ様のように、冒険的な道を選んだのでしょうか。 そのような父と母の縁があって、私が生まれたのです。 つまり、私は、第二次世界大戦による奇跡的父と母の出会いが生み出した奇跡の産物であり、戦争の芽を摘み取り、戦争の種が根付かない大地と言う環境を作り出す役割を期待されて、神仏がこの世に送り出した、貴重な存在なのかもしれません。 私が生まれて間もなく、父の妹は、栄養失調でチフスになり、死んでしまったそうです。 年齢は16歳位でアンネ様のそれに近く、死んだ原因は同じですね。
母は私にとって、気丈夫な存在でしたが、私と私の弟がともに小学生だった時、一度だけ、「一緒に死のうか」と、弱音を漏らしたことがありました。その時、「母さん僕は死ぬのが嫌だ」 と弟と一緒に反対しました。 その後、母は、子供たちが、不安に思うような話をすることは一度もなく、この世を去りました。 父は、私が、26歳頃に失業が主な原因でこの世に居場所を失い、あの世に、居場所を見つけるため旅立つかのように59歳で自殺しました。 弟は、失業と希望の職種への就職失敗が原因で、私が46歳頃に43歳で自殺しました。
母は、私が58歳くらいの時に84歳で、脳梗塞でなくなりました、私の唯一の母親への親孝行は、私が自殺せずに、母の死を見届けたことだと考えています。 私の母は、アンネ・フランク様のような人であり、父は、釈迦の弟子で知的障ガイのあった「チューラ・パンタカ」のような一面を持っていたと思います。 釈迦のような人が父の身近にいれば、悲惨なことをしなくてよかったのではないかと思っています。 性格的に明るくて優しい面も、数多く見られた父親でしたが、その父親から、男として生きていくための厳しいしつけを全くといってもいい程受けることなく、私も、弟も育ちました。
そのことが大きな原因となり、男性指導型の現代社会のなかで、私の場合は、 頭が悪いくせに、短気で、わがままで、怠け者で、蚤の心臓のように小さなことで思い悩み、自分と同時に他人をも傷付け続けた、悪者としての人生を送ってきたのだと、現在になって真剣に受け止めるようになり、そのことを神様・仏様やこの読者の皆様にも告白します。 言い換えれば、弱くて、愚かで、醜くい、悪者としての人生を送ってきたのです。このことは、他人との比較の問題ではなく、目に見える世界も、目に見えない世界も、管理しておられる、唯一絶対の完全無欠な審判者(裁判官)を想定し、その審判者に対して告白する、私の心の叫びなのであります。
このことは、誰もが、引き受けたくない、「弱者、愚者、醜悪者」の道を歩むことが、私の夢の実現に必要な試練として神仏が、ミッションとして定めている可能性があります、テレビや映画などの悲惨な役とは違い、周囲の人に迷惑や損害を与える現実の深刻な問題なので、非常に嫌なことですが、「たとえそうだとしても」と覚悟を決めて、それを受け入れ、私に残された人生を歩いていきたいと思います。「おかげで、私は、世界中の人に感動を与え、多くの実力者達を動かし、この世的浄土世界の実現を開拓するという夢の実現の可能性を広げていただいているのだから」と考え直します。
それはそれとして、あけすけな理由は差し控えますが、父や弟の死亡に関しては、私に大きな責任があったと反省しています。 私の今後の人生が償いの人生になることを、ここで、アンネ様に告白できることをうれしく思います。
あなたの心の恋人/Wonder Satoh より
以上