アンネ・フランク との誓い(3)
アンネ・フランクが、日記の中で、私が死んだ後も生きている人のように、偉大な仕事をしたいと訴えていた理由は、彼女が、大人よりも大人を知る子ども、そして、男よりも男を知る女ではないかと自覚したことにあると私は考えています。彼女が、「男よりも男のことを知っていると自覚していた」と私が考える理由は、「性行為の管理が恋人のペーターには無理なので、私が管理している」と日記の中で述べていたことによるものです。これから述べる「イヴ・エンスラー」についても、アンネ・フランクの生まれ変わりと考えています。。
(2014年11月02日 )、「イヴ・エンスラー」と「ミスターアリゲーター」と
「ネッラ・ファンタジア」-150809
親愛なるアンネ様
アンネ・フランク様が訴えたいことの重要な部分は、 あなたが、あなた自身を、大人よりも大人を知る子ども、そして、男よりも男を知る女ではないかと自覚したことにあると私は考えています。 そのため、たとえ死んでも、生きている人のように仕事をして、本当の意味で平和で安定した社会の仕組みを造りたいと考えていたのですね。 そういう意味で、あなたの生まれ変わりを信じさせる「マララ」さんは、大人より大人のことを知る子どものように生きていくに違いありません。男よりも男を知る女としての役割は、これから述べる、「イヴ・エンスラー」に受け継がれたのではないかと思います。
劇作家で詩人でもある、イヴ・エンスラーは、1953年、ニューヨーク市生まれ、20代半ばから、戯曲を発表し始めました。 彼女の著作 「ヴァジャイナ・モノローグス」は、書籍でもあるが、最初は、一人芝居という形で、1996年、オフ・ブロードウェイのウエストサイド・シアターで幕を開けた。以来、全米のみならず国外でも公演され、オビー賞を得るなど広く人気を博したそうです。
「ヴァジャイナ」は、英語ですが、日本では ドイツ語読みが定着し、「ワギナ」 と呼ばれます。「ヴァジャイナ・モノローグス」は、日本では、直接的に訳すと「おまんこ達のつぶやき」になり、性風俗の法律・規律に引っかからなかったとしても、日本人であれば、普通の人が口に出してしゃべるのをためらう下品ではずかしい表現なので、「岸本佐和子」さんの翻訳では、「ヴァギナ・モノローグ」という題名で売られています。
「ヴァギナ」の社会的認知とその地位の向上をめざす、この社会的運動には、彼女の話を聞く人や本を読んだ人々を、体の奥底から突き動かし、未来へ向かって一歩踏み出させるようなパワーがあります。 「女性だけでなく、男性も、おそらくこの本に感動した人たちはみな、心の中で、また、他人に対しても、何か解き放たれたような感覚を味わうに違いない」と「イヴ・エンスラー」は述べていますが、まさに、その通りだと思います。
「イヴ・エンスラー」は、子供のころ、アルコール依存症の父親から殴られ、無理やり性行為をさせられましたが、 その時、 「ミスターアリゲーター」よ私を助けに来てくださいと真剣に祈り続けたそうです。 ミスターアリゲーターが駆けつけることはありませんでしたが、彼女は、今でも、私を助けに来てくれると信じ続けています。 最近では、 女性が積極的に「ワギナ」のことを話したり、陰核を切除される運命にあった女性たちが団結して、その悪い習慣を打ち破った話などを聞くたびに、ミスターアリゲーターの恵みが関与していると感じてきているようです。
現実の社会では、見た目の強さ、賢さ、カッコ良さ等を基準に、男性優越指向型社会が、幅を利かせており、この世には、争いが絶えませんが、男も女も、大人も子どもも、対等の立場で本音の話ができるように、「ヴァギナ・モノローグ」を応援する形で 私が、「睾丸モノローグ」(=きんたまのつぶやき)を発表できればと考えており、具体的、直接的に発表する予定ですが、すでに、このブログ全体が、間接的に、睾丸モノローグ告白的な内容になっています。
そして、「私は 生きているミスターアリゲーターである」と彼女に伝えたいです。 アンデルセンの名作、「雪の女王」の少女「ゲルダ」が彼女なら、私は、少年「カイ」のようなものかもしれません。 おそらく、彼女は、永遠の少女の感覚を持ち続けるでしょうし、私もまた、永遠の少年の感覚を持ち続けるでしょう。そのことを、イスラム教世界で生活する マララ・ユスフザイ さんにも 伝えたいと思います。それはそれとして、アンネ・フランク様が生まれ変わり、生きている「イヴ・エンスラー」となって 私の恋人のようになってくれるのなら、どんなに素晴らしいことでしょう。
しかしながら、私の想像はとどまるところをしらず、、本当は、「イヴ・エンスラー」は、釈迦の女としての生まれ変わりのようなものではないかとも思います。そして、「マララ・ユスフザイ」は、キリストの女としての生まれ変わりのようなものではないかと思います。 キリストの胸に抱かれた幼いマララさんと、釈迦の胸に抱かれた、幼いイヴさんと、ともに、母なる神アマテラスのモデルとなった、ヒミコ女王様の男としての生まれ変わりのようなものとなって、ヒミコ女王様の胸に抱かれている、幼い「ワンダー」のようすを、霊体離脱のようにして想像できることは、なんてすばらしいことでしょう。 私が想像する、[ネッラ・ファンタジア]の世界では、キリスト様と釈迦様と、ヒミコ様が、一つのテーブルを囲んで座り、会談する様子が見えるようです。
「ネッラ・ファンタジア」は、もともと作曲家エンニオ・モリコーネが映画『ミッション』のために書いた器楽曲で、作詞者は、「Chiara Ferraù」 です。 歌手の「サラ・ブライトマン」が、その曲を、歌にする許可を「モリコーネさん」から、かろうじて、いただいたおかげでとても、素晴らしい歌として、世界中で歌われるようになりました。 以下はその歌詞です。 日本語の曲名の意味は、「空想の中で」になりますが、私の好みが許されるのなら、 「私の思い描く世界」 にしたいと思います。
心の中で私は、正しい世界を思い描いてみる、 誰もが平和に正直に暮らせる世界を、 私は、常に自由な心を夢見る、 空の雲のように自由な、人間味に溢れた心を。
心の中で、私は、明るい世界を思い描いてみる、 夜でさえもそれほど暗くない、 私は、常に自由な心を夢見る、 空の雲のように自由な。
私の心の中には、友達のように、 街から街へ吹きぬける暖かいそよ風がある、私は、常に自由な心を夢見る、 空の雲のように自由な、 人間味に溢れた心を。
あなたの心の恋人 Wonder/Satoh より